偶然の価値

道端に咲いた花に目が行く回数が増えた。

出会いと別れの季節が今年もやって来た。

多くの同級生が就職し、どこか遠くへ行ってしまう前に、卒業後二回目となる同窓会を開催した。

 

同窓会では高校の食堂を使わせて頂いた。

進級会議に被せて、教員の方も気軽に参加できるようにした。

久しぶりの校舎は四年前と全く変わらず、しかしどこかよそよそしい印象を私に抱かせた。

 

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VRは私たちを旅行から遠ざけるだろうか?:『空間の経験 身体から都市へ』(イーフー・トゥアン著)を読んで

私たちは、私たち自身を取り囲む環境について本当によく知っているだろうか。

例えばなぜ私たちは見知らぬ環境に体を運びたがる(=旅行したがる)のだろうか。

よく出来た映画を観ればその土地については十分知ったかのような気持ちになるし、将来的にはVRなどによってまだ現実にはない空間ですら体験し、知ることができるようになるかもしれない。

しかしそれだけではある環境について(本当の意味で)知るためには十分ではない気もする。

実際に直接訪れることの優位性は、果たしてどこにあるのだろうか。

 

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熊本地震と僕たちの未来

青い街

 

6月の始めに、震災後初めて熊本を訪れた。

飛行機から見る熊本は、まるでインドかどこかにあるブルーシティのようだった。

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この青い家の数だけ、避難所での暮らしを強いられている家族がいると思うと胸が痛んだ。

今回は、一番被害の酷かった益城町を始め、南阿蘇村や熊本市内を中心に訪れた。

その時の感情を表すのにきっと言葉は足りないけれど、

テレビでも熊本の報道が少なくなり、一部では「熊本の被害は局所的でほぼ回復しつつある」という欺瞞に満ちたものを目にすることも増えたいま、

少しでも現状を他の人にも伝えたいと思って言葉を綴ることにした。

 

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臨界点を迎える現代と資本主義の限界

臨界点を迎えつつある現代

経済合理を過剰に追い求めてきた現代社会はもはや臨界点に達しつつある。

日本の金利は史上初のマイナスに設定され、国債に投資すれば必ず資産価値は上昇するという神話は崩れ去った。

国はLong Stagflationと呼ばれる長期的な経済停滞から未だ抜け出せず、景気の良い時代を経験した事の無い世代が中心になりつつある。

今の社会はどのように形成され、そしてどのように変わって行くべきなのであろうか。

かつては一部の支配者階級のみの関心事であったこの問いはいま、深刻なリアリティを伴って僕らに差し迫ってきている。

 

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何もしないということ:ミャンマーの路上から

3度目のヤンゴンを訪れていた。
現在は、次の目的地であるホーチミンに向かう途中。
バンコクでトランジットの時間を過ごしている。

変わらぬもの

 
2015年が始まってすぐ、1月11日に成人記念同窓会があった。
高校を卒業してから初めての同窓会であった。
卒業式後、1度も会ったことのない友人も多く、楽しみにしつつも少し不安な気持ちを抱えながら当日を迎えた。

 

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