熊本地震と僕たちの未来
青い街
6月の始めに、震災後初めて熊本を訪れた。
飛行機から見る熊本は、まるでインドかどこかにあるブルーシティのようだった。
この青い家の数だけ、避難所での暮らしを強いられている家族がいると思うと胸が痛んだ。
今回は、一番被害の酷かった益城町を始め、南阿蘇村や熊本市内を中心に訪れた。
その時の感情を表すのにきっと言葉は足りないけれど、
テレビでも熊本の報道が少なくなり、一部では「熊本の被害は局所的でほぼ回復しつつある」という欺瞞に満ちたものを目にすることも増えたいま、
少しでも現状を他の人にも伝えたいと思って言葉を綴ることにした。
避難所
初日は御船町に新しく出来る避難所の整備を手伝った。
多くの避難者を集約出来るような大きな避難所を作成しているらしい。
復興は既に果たされつつある、なんていう報道はウソだった。
今なお多くの人が避難所に暮らし、段ボールの上で寝ることを強いられている。
その避難所では季節毎の注意点を掲示するらしい。
ボランティアの学生は夏の分を作り終えて、冬の分に取りかかろうとしていた。
それはつまり、避難所となっているこの体育館で、冬まで過ごさなければならない人がいるということだ。
小学校の記憶を思い起こしてみれば、冬の体育館がどんなに寒いかは想像に難く無い。
益城町
特に被害がひどいとされる益城町の様子は想像以上だった。
家屋が壊れた様子なんて、ニュースで見慣れていると思っていた。
最初見たとき、正直に言えば何の感情も湧いてこなかった。
今思えば脳が考えることを停止していたのだと思う。
それほどに家屋が壊れ、道路が割れている景色というのは衝撃的だった。
自分たちの今暮らしているこの空間が、どんなに脆いものであるかを知った。
僕たちの未来
地震という不可知で不可避の災害と僕たちはどう付き合って行けば良いのだろうか。
益城町の避難所で聞いた言葉が印象に残っている。
「地震が来ると言われていることは知っていた。しかし誰も本当に来るとは思っていなかった。何も準備はしていなかった。」
地震研究所に依れば、今回の地震の起こる確率は1%を切っていたらしい。
しかし地震について語る際、予測確率など何も意味が無いことを今回僕たちは身を以て知った。
東日本大震災による死者は15894人にも上る(2016年3月10日現在)。
その復興に費やされた予算は20兆円を超えた。
これからもその数字は増え続けるだろう。
対して、南海トラフの最悪のシナリオにおける予想死者は約33万人、
経済被害想定額は220兆3000万円である。
勿論原発事故が再び起こったり、東南海地震や東海地震が連動する可能性もある。
原子力資料研究室の推定(眉唾ではあるが)では、浜岡原発全体で事故が起きた場合、
原発から風下70kmまでの範囲(静岡県の大部分)の住民が致死量の被爆を受けるという。
直接的な被害を受けずとも、復興に係る費用によって社会保障は麻痺するだろうことは容易に予想出来る。
1億2000万人全員が当事者意識を持つ事が求められている。
絶対に壊れない建物や道路を作ることは不可能だ。
南海地震が起きた場合、熊本地震や3.11のようにすぐに救助隊が駆けつけることは出来ないかもしれない。
全てを解決するような政策も技術もこの世には存在しない。
一人一人が、防災パックの用意や避難路の確認、タンスの固定など小さな努力を積み重ねることしか出来ない。
日本という地震大国に居を構える限り、我々は当事者であることを逃れられないのだ。
※全ての写真は筆者撮影による